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デリヘル・ホテヘルもいっぱい!西日本一の歓楽街・博多中洲の歴史

九州で一番の歓楽街・博多中洲。その歴史をたどると江戸時代までさかのぼります。武士や町人の遊び場として大人気となり、明治・大正・昭和を経て、現在でも屋台などの飲食店やデリヘル・ホテヘルなどの風俗店が軒を連ねています。

江戸後期に武士も町人もともに遊べる大歓楽街として発展した中洲

東京の歌舞伎町、北海道のすすきの、そして九州の中州、これらを日本三大繁華街と呼んでいます。中州は、1600年に福岡城を築城するために、福岡と博多を繋ぐ中嶌橋が架けられたのが始まりとされています。

当初は菜の花畑として利用されましたが、江戸時代の後期に歓楽街へと変貌していきました。

福岡城のある福岡には武士が多く、博多は町人の町と呼ばれるほど多くの商人が生活していました。そのため、その中間にある中洲は彼らの遊び場としては最適だったというわけです。芝居小屋や相撲などの娯楽が集まり、毎日大賑わいだったといわれています。

また、この頃の中洲には、現在のラブホテルの原型ともいえる茶屋が多数建ち並ぶようになりました。娼妓などプロと遊ぶのが色茶屋、カップルで楽しむのが出会い茶屋と呼ばれていました。

明治時代から現代まで中洲は飲食・風俗ともに九州一の賑わい

江戸時代が終わり、明治・大正と時代が移り変わっても、中洲の発展はとどまることがありませんでした。映画館やバー、カフェが軒を連ね、百貨店も建ちました。昭和になると、500人以上の芸者たちが中洲で活躍するようになります。

九州で一番の歓楽街と称されるようになった中洲ですが、第二次世界大戦で甚大な被害を受け、一時は焼け野原と化します。また、終戦後は売春が禁止されたため、小料理屋やソープ、ヘルスなどが建ち並ぶ現在の中洲へと移り変わっていきました。

現在の中洲は、ラーメンや餃子などの屋台のほか、ソープやデリヘルなどの風俗店で賑わっています。中洲で営業している飲食店や風俗店を合わせると、3500件を超えるといわれています。

デリヘルやホテヘルも多いので、屋台で食事やお酒を楽しんでから、ホテルでゆっくりと夜の遊びを満喫するのがおすすめです!

江戸時代に武士や町民の遊び場として発展した中洲は、昭和になる頃には芸者遊びを中心にした歓楽街へと成長していきました。現在では九州一の歓楽街とされ、屋台での飲食やデリヘルなどの風俗遊びにはもってこいの場所になっています。

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